とき:2004.12.31〜2005.01.02
ところ:鶴見〜蒲江・三つ子

『変則ながら恒例の越年釣行』

プロローグ
 師走に入り、船長と越年釣行の打合せをして居たが、生憎の悪天候。天気予報は少し変化したが決して好転はしない。30日の夕方、再度確認したが、思わしくない。大晦日、自宅から見える別府周辺の山は雪が降って白くなっていた。早朝7時、電話で船長に最終確認をした段階で、船長は渡礁させられないと判断した。その旨、師匠とE氏に告げたが、既に仕度をして家を出て来たので、今更…と携帯で話しをして居たらE氏の車に師匠が乗り我が家の前に来ていた。それでは、大晦日はモイカ釣りでもして、明日の事は明日決めれば良いと話しがまとまり、米水津で落合う事にして二人は先行した。私は、急いでモイカ釣りの道具を追加して車に積み込んで彼等の後を追ったのだった。

大晦日
 泳がせ用のゼンゴは、何時も“有漁丸あわよし”の小屋で調達している。ここで二人と合流した。一尾50円を40尾買って活かしに入れてもらい午前10時ころ出発。北風が徐々に強く成って来る。天気予報では地上で14メートル、海上で18メートルの強風が吹くと言って居たが…、風裏を探すのは極めて困難な状況だった。米水津側、鶴見側…アチラこちらと車を走らせ見て周るが、中々良いポイントが見付からない。最終的に鶴見側の奥まった波止場に決めてモイカの泳がせ釣りをする事にした。風裏に位置するのだが、時折回り込んだ冷たい風がビュー、ヒューヒューヒューと吹き抜ける。冬の嵐を思わせる猛烈な風だった。

モイカ釣り
 釣り開始直後、比較的手前に有る藻の近くで師匠とE氏が800グラムほどのモイカを続けてゲットした。その時私は未だ準備中。ゼンゴを3分の2程別の活かしに入れて波止場の内側に沈め、残りのゼンゴを入れたブクブクを付けた活かしの水を替えたりしていた(センゴを夜まで活かして置く為には面倒だがこの様にする必要が有るのだ)。先を越された二人に遅れて釣り始めたが、風が道糸を引っ張ったり、吹き上げたりして釣りずらい。岸に近い処に根掛りする所が有るのだが、遠投して流して(泳がせて)居ても、強風が回り込んで左へ道糸を引っ張って行くので、しばらく放っておくと、何時の間にやら根掛りしてしまうので、目が離せない。E氏はウキごと仕掛けを取られたが、次ぎに作った仕掛けで、上手い事引っ掛けて回収した。

 午後3時頃までに、全員なんとか2〜3杯それぞれゲットした。しかし、それから夕方迄は全くアタリ無しの時間が虚しく過ぎて行った。
 
 何時しか日は傾き、夕暮れが迫って来た頃、1人の釣り人が“おじゃましまーす”と言ってやって来た。彼は佐伯の住人で、10月から毎週末各地を点々と釣り歩いているベテランで、この日もゼンゴを釣ってからここにやって来たそうだ。お世辞にも立派な道具立てとは言えないが使い込んだ物ばかりだった。彼は、波止場の先端に行き、電気ウキをセットし、ゼンゴをセットして重そうな竿を振った。比較的手前に仕掛けを投入してゼンゴを泳がせていた。仕掛けを入れてから竿を置き、車の方へ何かを取りに戻って行った・・・。
 
 その時、師匠は先端近くに居て、間近にその釣り人を見ていたのだったが、“乗ったー”と大声を上げてくだんの釣り人の竿を持っている。聞くと、置き竿がガラガラと危うくモイカに持って行かれる所だったそうだ。其処に釣り人が急いで戻って来て竿を受け取りやり取りを始めた。1kg程のモイカが師匠の差し出すタモに納まった。ナンと、こんなに近くで良型が釣れるのか、と思い知る事になった。彼の釣って来たゼンゴは我々が買って来たものより一回り大きく、しかも元気が良い。だから、良く泳ぐしモイカにもアッピールする筈だ、と納得させられた。

 その後、師匠とE氏は車に入り暖を取りながら仮眠についた。風は北から西に変り、海の白波は収まり、沖側に仕掛けを投げられる様になって来た。明るい時に釣れた辺りを中心に仕掛けを投入て、色々探ってみたが…中々当りが出ませんでした。その後…私の意地で9時まで頑張って見た。結果、900g位の奴を1杯ゲット出来た。

 それから、道具を片付け二人を起こし…?と思ったら、彼等は何時の間にか目を覚まし、私の釣りを見ていたらしい。2台で元猿へ移動。港手前に有る駐車場で夕飯を取り、朝までぐっすり眠った。(そうです、我々は紅白歌合戦を何年も見た事が無いのです)

2005年元旦
 明けて元旦。朝6時起床、洗顔してから朝食をとり、初日の出を拝みに行こうと裏山の高平キャンプ場に登った。既に駐車場は9割埋まっていた。残念ながら東の水平線(四国側)に低く厚い雲が広がっていて、日の出が遅くなったが、御来光を拝み今年の無事と豊漁を祈念し、写真を撮ってから港に下りた。

 基本的に元日は休むと言って居た船長に、無理を承知で電話を入れてみたら“海はどうだ”というから“昨夜から風向きが変わってベタ凪ですよ”と言ったら、“直ぐ行くから仕度していろ”と気持ち良く了解してくれたのだった。

元旦の磯上がり(始めての事)
 港を出た処で水温18.4度、信じられない高さだった。船長談ではこの所グレのサイズが一回り小さく成ってしまったそうだ。三つ子に近づく…アレー、高バエに4人が竿出し中…ヤナ予感…平バエに廻るとこちらにも2人竿出し中。船長は竿出し中の先客に気を使って、お邪魔にならないようにと裏の船着けに回ってくれた。ところが、裏に上げられると荷運びが大変なのだ。元旦に船を出してくれた船長に感謝し、お礼言って帰ってもらった。

初釣り
 さて、その後の1泊2日の初釣りは、下の写真と添え書きでイメージして頂こう。海はウソの様に静かに元旦を迎え、西よりの風は釣り座後方から吹き、大変釣り易い状況だった。大量の荷物を運んで各自整理してから釣りの準備をする。
 
 仕度が済んでから、例の2人の釣り人の釣りを拝見しながら、昼食をとった。潮の流れは…?発達した低気圧が通過した後で潮の流れがハッキリしない。沖に流れるている筈の潮目が明確に流れない。ワタリの2人を見ると、下げ潮なのに満ち込み側の釣り座で竿出ししている??? 大ザラシの払い出しが沖に押し出している、だがしかし…沖の潮目とぶつかる筈だが…沖に流れる筈の潮目が無い為、只表層流を作っているだけであった。

 船着きと右のワンドに先客が陣取っている。彼等は割合手前をピンポイントで繰り返し攻め続けている。釣れているのは25~30a程度のクチブーばかり。それでも全部タモで掬い、〆てクーラーに入れていたのだった。
 
 私は、先ず右手の大ザラシで遊ぶ事にした。チョット高い場所に釣り座をとり、大ザラシの中央から払い出しの右側先端に仕掛けを投入。コマセを多目に打ち込んで仕掛けを送り込み、流れに乗せる…・20メートル程流れた処でコツンと魚信、アワセをくれてリールを早巻きしながら波が洗う場所まで前に出る…足元に突っ込むのを交わして一気に波に乗せてブリ上げた。その時波がザザーっと膝まで上がって来た。35aの尾長グレ。その一尾でそれ以上そこで釣るのを止めた。(タックルは竿OREGA1.75‐53、リール2000番、道糸2.5号、ハリス2号、ウキNamidaM‐B、グレバリ6号、棚4.5m…竿が勝っているバランス=尾長対応、ブリ上げ前提)

 仕切り直しだ、高台で一服した後、東のハナに入った。普段は波が打ち越して凪の日でなければ上がれない釣り座で有る。満ち込みに変り始めたが全体にトロンとした潮の動き。流れが微妙にそして不安定に変化しながら流れたり淀んだりしていた(本流の潮流は、沖のカモメの群がる位置で見当が付く)。

 釣り座に着き、先ずコマセを払い出しに暫く打ちこんでから餌盗りの様子伺うが、余り出てこない。グレも出て来ない。そこで、一服しながら潮の流れと変化を暫く眺めてから、やおら仕掛けの投入ポイントを決めて仕掛けを入れ、コマセを打つ。仕掛けが馴染むのを待って追いコマセを打ち流れに乗せる。暫く流して回収すると、オキアミの頭がかじられていた、グレだ。
 
 浮力調整用のジンタンを少し重い物に交換してウキの感度を上げた。二流し目、払い出しから沖の本流に流れ込む処でウキが入って行った、軽くアワセをくれると一気に竿に乗って来た。寄せて、左側に誘導し、突っ込みを交わして浮かせてから波に乗せてブリ上げた。取敢えず30aオーバーの尾長。キーパーサイズ。後ろのプールに投げ込んでおく。そんな事を繰り返しているうち、午後3時、先客2人がM丸に回収されて仙崎方向に帰って行った。

 大きなワンドで竿出しして居た師匠とE氏は、早速2人の後に釣り座を移動した。期待が膨らむ初釣りの夕マズメだ、各自期待を胸に仕掛けを打ち込む。私の方は若干満ち込みの潮が15メートルほど沖を左に流れている。潮のカベに仕掛けが入る…、間も無くウキがス-っと入った、軽くアワセをくれるとク-っと足元に突っ込もうとする、左へ導き竿に溜めながら浮かせて、グイ-っと抜き上げる。30a或るか…取敢えずキープ、またしても尾長グレだ。徐々に投入ポイントを左、潮下に変えて少し時間を掛けてゆっくりとした流れに乗せて見る…、見え隠れしていたウキが斜めに沈んで行った。フケを取り、竿を立てるとグーっと押さえて来た、しかし残念ながら期待したほど重量感がない。35aくらいの尾長グレ、これもプールに泳がせて置く。同じポイントで5匹追加してから、サラシの右側から本流への引かれ潮に乗せて流す…、ウキが勢い良く入った、今度はかなり締め込む…、竿先を海中に突っ込んで大きく彼奴の頭を振り、浮かせた。白だ、チョットブリ上げには重量が有るなと見てタモで救った。45aほどのぽっちゃりとしたイズスミちゃんでした。その後潮が抜け無くなり、暗くなり始めたので初釣りは納竿とした。

 師匠達はと聞くと、サイズは似たり寄ったりだが、殆どが口太ちゃんだったそうだ。既にクーラー満タン。道具を高い所に片付けて泊りの仕度を始めた。今回は、どうなるか未定だった為、宴会用の鍋道具と材料は用意していなかった。火を囲みながらそれぞれで晩飯を作り、芋を飲みながら静かな晩餐会をしたのでした。

 天空に満天の星が冴え冴えと輝き、夜間飛行(最終便)の点滅する灯りが3つ、4つ…、この時間帯は飛行機が多く飛んでいる。

 さて、E氏がトラブル。前夜、車中で仮眠を取った時に寝袋をかぶって居たのだが、車に置いて来てしまった。但し、テントは持って来ていたので少しはましだったが、それでも寒い寒いと言っていた。4時頃早起きしてオガライトを焚いて一人で火に当っていた。私は何時もの様にエアーマットを膨らませて、その上に寝袋、更にテント代わりビニールシートを封筒状にして、エアーマットと寝袋をスッポリ中に入れて潜り込んだ。ぐっすり就寝zzzzz。

1月2日の釣り
 長くなったので、簡単に説明しよう。元日にお神酒を上げる事が出来なかったので、2日の日の出を待ってから海と磯と釣り道具にもお神酒を上げて今年の釣果と安全を祈願してから釣り始めた。その時、既に師匠は竿を出して居たが、アタリ無し。

 海は更に穏やかになり、潮位がかなり低かった。オマケに水温がグーンと下がり、回収した付け餌がヒンヤリしていた。従って、グレは食い渋りを見せていた。タマに釣れるのはリリースサイズばかりだった。10時、H丸が瀬泊り仕度の釣り人を3人瀬上げして行った。彼等はゆっくり仕度を始めて、昼過ぎから左のワンドに2人、東のハナに一人が入って竿出し。

 各自、仕掛けを軽いものに変えながら釣ったり、休んだりして時間を過ごした。3時過ぎ、沈み瀬1番と2番の水道から潮下に掛けて大きなナブラが出来た。南から登って来た群れだ。最初はボラの大群だろうか、と思っていたが、それはブリの群れだった。3時半頃平バエ沖に移動して来たので、コマセを打って仕掛けを遠投したら、群れは大きく沖に迂回しながら仙崎方面に去って行ってしまったのだった。4時まで釣って納竿とし、コマセの散らかった釣り座を洗い流して、後の3人に釣り座を譲った。夕方5時にヤマトが回収に来た。

         写真で見る3日間            

2004年12月31日
強い冷たい北風を背に、
寒そうにしている師匠
E氏も同様、防寒着に身を包み、風と寒
さに耐えている
撮りは悪いが、私が最後に釣った
この日一番デカイ奴
(800g位でした)
明けて、2005年元旦
高平キャンプ場手前、駐車場前で、遅いご来光を待つ(午前7時10分)
足元の土に霜柱が立っていた
思わずブルブルブル
やっと拝めた
   初日の出

“今年も安全に楽しく釣りが出来ます様に”
平バエに渡礁した直後
背に“FieldTester”の看板をしょった釣師とそうでない先客二人
東のハナで竿出しした釣り座
潮は小さく、ウネリが殆どなかった
ので、釣り易かった
初日の夕マズメ
先客は午後3時に上がり、その後船付きに入った師匠
火を囲んで夜の宴会?
今回は、如何なるかわからなかったので、鍋は無しでちょっと物足りなかった
2日の早朝、日の出前
師匠が先に釣り座に立った
1月2日・日中
コッパグロを釣り飽き、潮の変わり目時の二人
クーラー満タンで余裕のE氏
(納竿前)
船付きからの景色
 手前が沈み1,2,3番、右手は高バエ のワタリ、その向こうに深島を望む

釣果の一部
 こんなサイズでクーラー満タン
  (未だ、水溜りに沢山泳いでいる)
元猿港横に有る
 マリンカルチャーセンター 
元猿港

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後書:
 ダラダラと長文になってしまってスイマセン。デカバンに遭遇出来なかったので、盛り上がりに欠け、尻すぼみの釣行記に成ってしまいました。今年も頑張ってグレ釣行をして、皆さんに情報を提供したいと思いますので、宜しくお付き合い下さい。個人的には、記録更新を狙って居ります。皆様も良い釣果に恵まれます様に願って居ります。

では又、次回をお楽しみに!
   
                                                 と よ い そ
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