グレ釣と私
* グレ釣りにはまる*

 私は現在海釣りしかしていない。東京で生まれ、伊豆七島の一つ、新島で小学一年生まで過ごし(疎開)、幼児期から海と親しんで育った。東京は大田区で成人したので、小・中学生時代は自転車で大森海岸まで行き、ハゼ釣りなどをしていた。現在は埋め立てられて、倉庫や住宅が立ち並び昔の海岸線の面影は無くなってしまった。

 10代後半になって、一時ヘラブナ釣りにはまり、毎週の様に利根川下流域まで、自作のヘラ浮きを持って通った事が有ったりして、釣りの楽しさを覚えたのだった。

 本格的に海釣りをする様に成ったのは、社会人になり、就職をして仕事の都合で大分に転勤してからである。仕事が忙しくなり、登山、スキー、テニスが思うように出来なくなっていた時期に、仕事でストレスが溜まっていた、1984年の事だった。突然釣りをしたくなったのである。

 始めの数年はヘラブナ釣りに似たチヌ(クロダイ)釣りにはまり、手始めに別府湾内、日出・深江・納屋・安岐・・・それから徐々に南下して行って坂ノ市、佐賀関、四浦、津久見、佐伯、鶴見、米水津、蒲江、時には北浦まで…と波止場、防波堤、河口域、イカダ、地磯、沖磯と釣場を釣り友達と行ったり、1人で行ったりと各磯を開拓したりしながら釣り歩いていた。

 そして、1987年グレ(メジナ)との鮮烈な出会いを蒲江の三つ子でしたのだった。私の師匠との出会いも其処だった。その時から元猿の渡船ヤマト、山崎船長とのお付き合いが始まった。その頃師匠は、ヤマトで深島へ底物に行き、上物釣に三つ子に通っていたのだ。今でも年末から年始に掛けては、恒例と成った越年釣行を20年以上楽しんでいる。


 それから沖磯のグレ釣りを主体に海釣りを楽しんでいる。諸先輩方にご指導を頂きながら、大分県南の磯で基礎知識と基本技術を学び、名手と呼ばれるグレ師の本を読み漁り、実践と研究、工夫を重ねて、ナンとか40センチオーバーの尾長グレが獲れる様に成リ、始めて先輩の方々から鹿児島遠征に同行させて頂ける様に成った。三本岳、草垣群島、宇治群島等で50センチオーバー、60センチオーバーの尾長グレとの遭遇、格闘は更に私のグレ釣り熱を悪化させ、お病気にしてしまった。

更に『豊磯グレ研』なる釣りクラブを結成したが、現在はクラブ員も減り、こじんまりと活動している。
 
..1980年後半頃、鶴見でブリが釣れていた。オオバエ突端、ダンの鼻 そして 水の子灯台。私は良くダンの鼻(ダンバナ)に出かけた。週末などは、正に戦場であった。15〜20人が観音周りで次々に仕掛を投げ、流し、獲り込み・・・皆必死で、殺気立っていた。気の弱い釣り人は中に入れず、竿を置いて見物・・・慌てるので獲り込みや投入時に良くトラブルが起ったものです。私は竿を2本バッキリやっちゃいました。

 当時、10月の半ばになると、オオバエの上物は禁止になっていたものです。そう、あの頃は大きな天然ブリの群れが毎年入って来ていたのでした。無垢島沖に良く100号のウキ流しでブリやマダイのデカイ奴をガンガン釣っていたものだった。又、畑野浦湾のイカダ周りでブリ釣が盛んだったが、それも年々釣れなく成ってきた。回遊魚が湾内に入ってこなくなったからだ。

 1990年代半ばからは、そんなブリの群れが鶴見では見られなくなってしまった。ヤズ、ハマチクラスしか見られず、昔の様に天然ブリを正月に自前で調達する事が出来なくなってしまった。あ〜、あの頃が懐かしい。

 近年、従来より良形のグレが余り釣れなくなった。釣れる時期のバラツキや釣れる磯の範囲の狭さ、更に絶対的な生息数の減少が見られる。確かあれはエルニーニョ現象が収まった頃からだと思うが、黒潮の流れ込みが変化し、回遊グレの大きな群れをついぞ見なくなった。又、海水温の変化も不順な事が多くなり、魚影が薄く、のっこみ時期に大きなバラツキが出始めている。近年沖磯に立って釣友と嘆く、前はもっと潮通しが良かったのに、最近は昔の様な潮が流れなくなった…と。

 未だ有る、磯釣り人口は急増した。天候の荒れ易い冬場でも大分県南は竿だし出来る日が比較的多い。従って、通年沖磯に釣り人が通って来る。殆ど毎日大量の集魚材、オキアミ等が何トンも撒かれている。本来メジナは産卵期が過ぎると海藻類を主に食べていたのだが、人間が撒くオキアミを年間を通じて食べるようになり、その生態が変化してしまった。その証拠に、初夏の口太メジナも脂が乗っていて、昔の様な青臭さが無かった。

 他にも要因は有りそうだ。タックルの革新的進歩と釣師の操作技術の飛躍的向上が相俟って、グレも稚魚の時から鍛えられてスレて来ている。
今は平日でも県内外からグレ釣りファンが大分県南の磯に来る。週末ともなれば、釣果の上がっている磯に釣り客が集中する。したがって希望するポイントに上礁するのにかなり苦労する。最近は、当番瀬にこだわらない。過去20年程の間に自分で養った経験を元に、各ポイントでその日の釣りを楽しむ様に成って来た。

 技量、知識、観察力、集中力などの総合的な差が釣果に出る、だから一層グレ釣りにはまる。依ってグレ釣師みな我師匠成り、そして生涯が研鑚成り。

さて、60歳を過ぎてからは仕事も変わり、子供も巣立ち生活環境が変わった。特に資金力と体力と肝心の二つが道楽を制約する。釣り仲間達もそうだが、それぞれの生活環境が変わってきたこともあり、最近は沖磯に立つ回数も減り、特に遠征釣行はサッパリ行かなくなってしまった。

だから、たまに行く沖磯でのグレ釣りが、これまで以上に楽しめるのかもしれない。

2005年から、蒲江・西野浦釣センター(NFC)の久寿米木船長と出会い、毎週のように通っている。ここは通年、筏釣り、掛かり釣り、船釣り、そして沖磯釣りと多彩な釣りが出来る。なんと言っても、とっても個性的で人間味豊な素敵な久寿米木船長が居る。お知り合いの釣師も増えてきた。私のように、我が侭な釣りバカにはとっては大変有難い釣りセンターである。

 素晴らしい大分県南の海の恵みと多くの出会いがあるから、ストレスを溜めることなく日常の活動が出来、健康で過ごせていると感謝している。

        


                                                      管理人: とよいそ

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豊磯グレ研
プロフィール
1945年東京生まれ
現住所:27歳の時転勤で大分県別府市に(自宅は勿論温泉です)
釣り歴:小学4年ハゼ釣りから
グレ釣り歴:1984年から
その他:「豊磯グレ研」首謀者